ドキシルという薬剤をご存知でしょうか。
卵巣ガンに効果を有する抗癌剤で、世界80カ国以上で承認されている薬剤です。
我が国では卵巣ガンに使用するものとして承認を得た抗癌剤はわずか2種類。
アレルギーや抗癌剤に対する耐性を生じてしまった患者さんにとって、世界中で使われ副作用も少ないとされるドキシルは、すぐにでも必要な薬剤です。
米国などの承認から既に10年、しかし、日本では未承認のまま。
現在、治験を終え承認申請が出されたという段階です。
ドキシルは、ドラッグラグの象徴的な存在の一つにあげられる薬剤なのです。
これって、何かに似ていませんか?
そう、細菌性髄膜炎名から子どもたちを守るワクチン「ヒブワクチン」と「小児用肺炎球菌ワクチン」です。
ヒブワクチンもWHOの定期接種化すべしという勧告から10年遅れでの承認でしたし、小児用肺炎球菌ワクチン「プレベナー」も、ドキシル同様に世界の他の国々から大幅に遅れての承認申請であり、承認の目処もなかなかたたない状況にあります。
そう、我が国ではドラッグもワクチンも、そしてデバイス(医療機器)も、国内で使用するための承認が他の先進国と比して大幅に遅れている状況にあるのです。
そしてこれは、特定の品目に限定される話ではありません。
ドラッグ、ワクチン、デバイス、それらの全般にわたっての問題なのです。
速やかに承認し国民がそれらにアクセスできるような状態にすることを実現できるシステムが、残念ながら我が国には存在しないのです。
この問題を放置したままでは、私たち自身はもとより、子どもたちの世代、さらに次の世代にまで大きな負の遺産を残してしまうことになります。
ドラッグ、ワクチン、デバイスのラグは、これから開発されるあらゆる新製品について生じる可能性があります。
それは、日本人の誰もが「ラグ」に直面することでもあります。
現在、ワクチンギャップについて解消を目指して活動している私たちは、他のドラッグラグやデバイスラグ問題に取り組んでいる方々との連係を模索し始めています。
根っこでつながっているこれらの問題、一人でも多くの方々に知っていただき、国民全体で改善に向けた動きを作り出せることを願っています。
なお、ドキシルについては「第2日本テレビ」のドラッグラグから、特集をご覧いただければと思います。
卵巣ガンに効果を有する抗癌剤で、世界80カ国以上で承認されている薬剤です。
我が国では卵巣ガンに使用するものとして承認を得た抗癌剤はわずか2種類。
アレルギーや抗癌剤に対する耐性を生じてしまった患者さんにとって、世界中で使われ副作用も少ないとされるドキシルは、すぐにでも必要な薬剤です。
米国などの承認から既に10年、しかし、日本では未承認のまま。
現在、治験を終え承認申請が出されたという段階です。
ドキシルは、ドラッグラグの象徴的な存在の一つにあげられる薬剤なのです。
これって、何かに似ていませんか?
そう、細菌性髄膜炎名から子どもたちを守るワクチン「ヒブワクチン」と「小児用肺炎球菌ワクチン」です。
ヒブワクチンもWHOの定期接種化すべしという勧告から10年遅れでの承認でしたし、小児用肺炎球菌ワクチン「プレベナー」も、ドキシル同様に世界の他の国々から大幅に遅れての承認申請であり、承認の目処もなかなかたたない状況にあります。
そう、我が国ではドラッグもワクチンも、そしてデバイス(医療機器)も、国内で使用するための承認が他の先進国と比して大幅に遅れている状況にあるのです。
そしてこれは、特定の品目に限定される話ではありません。
ドラッグ、ワクチン、デバイス、それらの全般にわたっての問題なのです。
速やかに承認し国民がそれらにアクセスできるような状態にすることを実現できるシステムが、残念ながら我が国には存在しないのです。
この問題を放置したままでは、私たち自身はもとより、子どもたちの世代、さらに次の世代にまで大きな負の遺産を残してしまうことになります。
ドラッグ、ワクチン、デバイスのラグは、これから開発されるあらゆる新製品について生じる可能性があります。
それは、日本人の誰もが「ラグ」に直面することでもあります。
現在、ワクチンギャップについて解消を目指して活動している私たちは、他のドラッグラグやデバイスラグ問題に取り組んでいる方々との連係を模索し始めています。
根っこでつながっているこれらの問題、一人でも多くの方々に知っていただき、国民全体で改善に向けた動きを作り出せることを願っています。
なお、ドキシルについては「第2日本テレビ」のドラッグラグから、特集をご覧いただければと思います。
2008年度より開始された特定健診・特定保健指導。
いわゆる「メタボ健診」というやつです。
腹囲測定の是非や医療費削減効果への疑問、そもそも社会環境を変えなければ個人の生活行動変容だけを求めても生活習慣病対策としては片手落ちではないか、などなど様々な批判がメディアでも取り上げられましたので、ご存知の方も多いと思います。
そんな特定健診・特定保健指導ですが、オフィシャルに言われる「生活習慣病の予防」「医療費削減」といった役割以外に、もう一つある事柄のテストを兼ねているのじゃないかと、私は邪推しています。
それは、医療保険の保険者と医療機関の直接契約、です。
我が国の医療保険者は約4,800にのぼります。
医療機関数は約107,000件、歯科が約67,000件。
現在、これらの保険者と医療機関との間の保険診療の契約は、法律上は各々直接に契約することが認められていますが、実態としては支払基金・国保連合会を介した一括契約という状況にあります。
故に、保険証があれば全国どの医療機関にかかることも自由ですし、医療機関においてはどの保険者の被保険者であっても保険診療を提供することが出来ます。
我が国のフリーアクセスはこのような契約も一役買っているのです。
ところがこの契約形態に不満を持つ方もいて、直接契約を求める声もあります。
実際には先に述べたように保険者と医療機関の直接契約は、ごく一部の例外を除いて実現していません。
やはり膨大な数の保険者と医療機関がたすきがけに直接契約を結び、審査・支払を行うということには様々なハードルがあり実現しがたいのでしょう。
そして「フリーアクセス」を損なってしまうことに対しての警戒心が非常に強いというのも大きな理由だと思われます。
特定健診・特定保健指導は、一義的に提供すべきは保険者自身であり、しかし実際には提供できないので健診事業者・医療機関等に委託するという形式です。
これは医療も同じなんです。
医療では実現できていない保険者と医療機関の直接契約。
特定健診・特定保健指導は格好のパイロットスタディといえます。
個別契約や集合契約、電子的なデータの共有、成果によって次年度以降の契約を見直すなど、どれもこれも医療保険で直接契約を望む方々がやりたいことばかり。
まるでアメリカのHMO等のようです。
そして懸念されるフリーアクセスへの影響も、ダイレクトな健康被害の生じない「健診」「保健指導」分野で検証できるわけです。
そう考えると、冒頭に述べたように懐疑的な声が多く上がっている中、直接契約をすすめたい勢力の方々から際立った反対の声が聞かれません。
保険者として支出が確実に増えていくことが予想されているのにです。
だから、どうしても勘ぐってしまいたくなるんですね。
ちなみに私は、仮に特定健診・保健指導でうまく運用できたとしても、医療保険ではうまくいきっこないと考えています(のみならず、導入すべきではないと考えます)。
さあ、結果はどう出るのでしょうか?
いわゆる「メタボ健診」というやつです。
腹囲測定の是非や医療費削減効果への疑問、そもそも社会環境を変えなければ個人の生活行動変容だけを求めても生活習慣病対策としては片手落ちではないか、などなど様々な批判がメディアでも取り上げられましたので、ご存知の方も多いと思います。
そんな特定健診・特定保健指導ですが、オフィシャルに言われる「生活習慣病の予防」「医療費削減」といった役割以外に、もう一つある事柄のテストを兼ねているのじゃないかと、私は邪推しています。
それは、医療保険の保険者と医療機関の直接契約、です。
我が国の医療保険者は約4,800にのぼります。
医療機関数は約107,000件、歯科が約67,000件。
現在、これらの保険者と医療機関との間の保険診療の契約は、法律上は各々直接に契約することが認められていますが、実態としては支払基金・国保連合会を介した一括契約という状況にあります。
故に、保険証があれば全国どの医療機関にかかることも自由ですし、医療機関においてはどの保険者の被保険者であっても保険診療を提供することが出来ます。
我が国のフリーアクセスはこのような契約も一役買っているのです。
ところがこの契約形態に不満を持つ方もいて、直接契約を求める声もあります。
実際には先に述べたように保険者と医療機関の直接契約は、ごく一部の例外を除いて実現していません。
やはり膨大な数の保険者と医療機関がたすきがけに直接契約を結び、審査・支払を行うということには様々なハードルがあり実現しがたいのでしょう。
そして「フリーアクセス」を損なってしまうことに対しての警戒心が非常に強いというのも大きな理由だと思われます。
特定健診・特定保健指導は、一義的に提供すべきは保険者自身であり、しかし実際には提供できないので健診事業者・医療機関等に委託するという形式です。
これは医療も同じなんです。
医療では実現できていない保険者と医療機関の直接契約。
特定健診・特定保健指導は格好のパイロットスタディといえます。
個別契約や集合契約、電子的なデータの共有、成果によって次年度以降の契約を見直すなど、どれもこれも医療保険で直接契約を望む方々がやりたいことばかり。
まるでアメリカのHMO等のようです。
そして懸念されるフリーアクセスへの影響も、ダイレクトな健康被害の生じない「健診」「保健指導」分野で検証できるわけです。
そう考えると、冒頭に述べたように懐疑的な声が多く上がっている中、直接契約をすすめたい勢力の方々から際立った反対の声が聞かれません。
保険者として支出が確実に増えていくことが予想されているのにです。
だから、どうしても勘ぐってしまいたくなるんですね。
ちなみに私は、仮に特定健診・保健指導でうまく運用できたとしても、医療保険ではうまくいきっこないと考えています(のみならず、導入すべきではないと考えます)。
さあ、結果はどう出るのでしょうか?
kiklogでのタミフル関連エントリーを見ていたら、トラックバックされていた粂和彦先生のブログに行き着き、「予防接種の目的:その功罪」というエントリーを見つけました。
予防接種の考え方を個人の予防と集団(社会)防疫という二つの視点から捉えられているエントリーです。
是非、御一読いただければと思います。
ちなみにコメントを寄せられている、ムンプス難聴のお部屋の方(bloomさん)、エルビスさん、ともに私も傾聴に値するご意見をお持ちと感じています。
そちらのエントリーも是非どうぞ。
予防接種の考え方を個人の予防と集団(社会)防疫という二つの視点から捉えられているエントリーです。
是非、御一読いただければと思います。
ちなみにコメントを寄せられている、ムンプス難聴のお部屋の方(bloomさん)、エルビスさん、ともに私も傾聴に値するご意見をお持ちと感じています。
そちらのエントリーも是非どうぞ。
福島県立大野病院の産婦人科医が、業務上過失致死等を問われた事件で、福島地裁が無罪判決を言い渡しました。
死亡という結果は、お亡くなりになられた方にとっては、本当に残念な出来事でした。
しかし、判決自体は妥当なものだと考えております。
医療崩壊、特に産科をはじめリスクの高い外科系の医師不足を加速させた事件として、医療関係者の注目が高かった判決で、一般紙も社説で取り上げていました。
どの紙面も、おおむね共通するのは、「何故このような医療結果となったのか、知りたいと望んでも、真相究明が訴訟以外に手段が無いことが問題。第三者による委員会の設置を」といった主張です。
それはそうなんでしょう。
厚労省や与党が死因究明のあり方などについて論じているのも、まさにこの観点といえます。
各社説も、医師側から大反発を食らっている、医療事故調査委員会の第三次試案を念頭においているのでしょう。
ただ、事故調が立ち上がれば、すべては解決するのでしょうか?
私は、事故調がその望まれる役割を果たす為には、もう一段前に整えなければいけない前提があると考えています。
そもそも何故、遺族は訴訟に訴える以外に真相を知るすべが無いのでしょうか。
報道によれば医療機関の説明不足があり、また当事者ではなく客観的な立場による説明が必要だ、とされています。
まあ、当事者間でのやり取りでは、感情の問題もあり、どうしてもスムーズな意思疎通は困難になりがちでしょうから、第三者による説明があったほうが良いのでしょう。
では、医療機関の説明不足は、何故起こるのでしょうか。
医療機関側の対応が不誠実だから?医師側が面倒くさがっているから?真実を明らかにしたくないから?
どうでしょうね、どれも無いとは言えないと思いますが、医療機関側が誠実に面倒くさがらずに全てを明らかにしようとしても、結構難しいんじゃないかなと思います。
何故なら、医療に対しての医療の専門職種と一般の方々との知識や情報、思考方法に大きな違いがあるからです。
医療は医学部だけが6年制であることからも明らかなように、非常に専門性が高いものです。
さらに、臨床研修や後期研修を経て学んでいく、医師が育つ為には10年は必要といわれるほど、習得に時間を要する分野です。
一方で私のような一般的な人間にとって、医学に類する学習は、せいぜい保健体育とか生物で学ぶくらいで、それは医師の学ぶ時間に比して圧倒的に微々たる物です。
ものすごいギャップがあるんですよね、知識等に。
このギャップがあるが故に、医療機関が説明したことが、我々にはうまく理解できないということが生じてしまいます。
これは専門用語を平易に置き換えるとか、そういったレベルのことではないんですよね。
もう、思考の前提が違っていたりします。
私も15年近く、医師・歯科医師と一緒に仕事をさせていただいてきましたが、今になってようやく解る様になった事、まだわからないこと、まだまだ山のようにあります。
知人などから「この前医療機関にかかった時に、こんな事があったんだけど、どういうこと?」等と医療行為などについて相談を受けることがあります。
「先生に聞いたんだけど、よくわからなくって」と。
そこで、わかりやすく説明しようとするのですが、これがなかなかどうして難しいんです。
変なたとえですが、スポーツのプレーについてその選手の意図やプレーの質などを解説する前に、そのスポーツの基本的ルールから説明しなければいけないような、そんな感じです。
そして、自らがその難しさを感じるたびに、「こりゃあ、医療機関が説明するって言うのもなかなか難しいだろうな」と実感します。
ましてや、説明する側もされる側も、限られた時間の中ですからなおさらです。
では、どうしたらよいか。
だからといって、このギャップが解消できるかというとそんなことは絶対にないわけで、やはりギャップがある前提で考えなければならないでしょう。
多分、完全なる解決策は無いと思います。
ただ、私は少しでも良い方向に進むためには、もう少し、国民全体が医療というものについて理解を深めること、そして、医療者と非医療者との間の橋渡しをする、翻訳家的な存在を確立すること、が必要なんじゃないかな、と考えています。
我が国の医療は、それこそ「水」と同様に、タダで安全に当たり前に存在するものと捉えられている節があります(水はタダではないと考え方が変わってきましたが)。
特に、「安全」については、「ゼロリスク神話」といっても過言ではないほどに、疾病や出産等、医療が必要とされる場面が内包する「危険」を忘れてしまっているように感じます。
そして、「エビデンス」や「ガイドライン」「標準」といった言葉を誤解して、あたかも医療が工業製品のように統一基準で提供できるかのような、捉え方が蔓延しているのではないかとも。
人間という一人一人異なる生命体に対して医療は提供されるわけで、その効果についても個体により違って当然です。
99人に同じ結果が得られても、一人には別の結果が生じてしまう、でもそれをもってしてその一人に対する医療が間違っていたとか過ちであったとか、そういうことではないのです。
望んだ結果と、得うる結果が必ずしも等しくなるとは限らない、という医療の不確実さを理解する、そんなところからはじめなければならないのかもしれません。
また、医療の専門家と、非専門家の間で医療情報を橋渡しする役割を発揮できる方がいれば、相互理解は深まるのかもしれません。
どのような職務となるのか、にわかには具体像を説明できませんが…。
イメージとして、現在、医事紛争の交通整理役的な存在として医療メディエーターという職種が注目を浴びていますが、医療情報のメディエーターというイメージでしょうか。
私の狭い経験等から考えたものですから的外れなものかもしれませんが、御容赦ください。
とにもかくにも、この情報や知識等の非対称性をできる限り解消できる前提が整って、はじめて第三者による検証というものが有効になってくるのではないかな、そんなふうに考えています。
死亡という結果は、お亡くなりになられた方にとっては、本当に残念な出来事でした。
しかし、判決自体は妥当なものだと考えております。
医療崩壊、特に産科をはじめリスクの高い外科系の医師不足を加速させた事件として、医療関係者の注目が高かった判決で、一般紙も社説で取り上げていました。
どの紙面も、おおむね共通するのは、「何故このような医療結果となったのか、知りたいと望んでも、真相究明が訴訟以外に手段が無いことが問題。第三者による委員会の設置を」といった主張です。
それはそうなんでしょう。
厚労省や与党が死因究明のあり方などについて論じているのも、まさにこの観点といえます。
各社説も、医師側から大反発を食らっている、医療事故調査委員会の第三次試案を念頭においているのでしょう。
ただ、事故調が立ち上がれば、すべては解決するのでしょうか?
私は、事故調がその望まれる役割を果たす為には、もう一段前に整えなければいけない前提があると考えています。
そもそも何故、遺族は訴訟に訴える以外に真相を知るすべが無いのでしょうか。
報道によれば医療機関の説明不足があり、また当事者ではなく客観的な立場による説明が必要だ、とされています。
まあ、当事者間でのやり取りでは、感情の問題もあり、どうしてもスムーズな意思疎通は困難になりがちでしょうから、第三者による説明があったほうが良いのでしょう。
では、医療機関の説明不足は、何故起こるのでしょうか。
医療機関側の対応が不誠実だから?医師側が面倒くさがっているから?真実を明らかにしたくないから?
どうでしょうね、どれも無いとは言えないと思いますが、医療機関側が誠実に面倒くさがらずに全てを明らかにしようとしても、結構難しいんじゃないかなと思います。
何故なら、医療に対しての医療の専門職種と一般の方々との知識や情報、思考方法に大きな違いがあるからです。
医療は医学部だけが6年制であることからも明らかなように、非常に専門性が高いものです。
さらに、臨床研修や後期研修を経て学んでいく、医師が育つ為には10年は必要といわれるほど、習得に時間を要する分野です。
一方で私のような一般的な人間にとって、医学に類する学習は、せいぜい保健体育とか生物で学ぶくらいで、それは医師の学ぶ時間に比して圧倒的に微々たる物です。
ものすごいギャップがあるんですよね、知識等に。
このギャップがあるが故に、医療機関が説明したことが、我々にはうまく理解できないということが生じてしまいます。
これは専門用語を平易に置き換えるとか、そういったレベルのことではないんですよね。
もう、思考の前提が違っていたりします。
私も15年近く、医師・歯科医師と一緒に仕事をさせていただいてきましたが、今になってようやく解る様になった事、まだわからないこと、まだまだ山のようにあります。
知人などから「この前医療機関にかかった時に、こんな事があったんだけど、どういうこと?」等と医療行為などについて相談を受けることがあります。
「先生に聞いたんだけど、よくわからなくって」と。
そこで、わかりやすく説明しようとするのですが、これがなかなかどうして難しいんです。
変なたとえですが、スポーツのプレーについてその選手の意図やプレーの質などを解説する前に、そのスポーツの基本的ルールから説明しなければいけないような、そんな感じです。
そして、自らがその難しさを感じるたびに、「こりゃあ、医療機関が説明するって言うのもなかなか難しいだろうな」と実感します。
ましてや、説明する側もされる側も、限られた時間の中ですからなおさらです。
では、どうしたらよいか。
だからといって、このギャップが解消できるかというとそんなことは絶対にないわけで、やはりギャップがある前提で考えなければならないでしょう。
多分、完全なる解決策は無いと思います。
ただ、私は少しでも良い方向に進むためには、もう少し、国民全体が医療というものについて理解を深めること、そして、医療者と非医療者との間の橋渡しをする、翻訳家的な存在を確立すること、が必要なんじゃないかな、と考えています。
我が国の医療は、それこそ「水」と同様に、タダで安全に当たり前に存在するものと捉えられている節があります(水はタダではないと考え方が変わってきましたが)。
特に、「安全」については、「ゼロリスク神話」といっても過言ではないほどに、疾病や出産等、医療が必要とされる場面が内包する「危険」を忘れてしまっているように感じます。
そして、「エビデンス」や「ガイドライン」「標準」といった言葉を誤解して、あたかも医療が工業製品のように統一基準で提供できるかのような、捉え方が蔓延しているのではないかとも。
人間という一人一人異なる生命体に対して医療は提供されるわけで、その効果についても個体により違って当然です。
99人に同じ結果が得られても、一人には別の結果が生じてしまう、でもそれをもってしてその一人に対する医療が間違っていたとか過ちであったとか、そういうことではないのです。
望んだ結果と、得うる結果が必ずしも等しくなるとは限らない、という医療の不確実さを理解する、そんなところからはじめなければならないのかもしれません。
また、医療の専門家と、非専門家の間で医療情報を橋渡しする役割を発揮できる方がいれば、相互理解は深まるのかもしれません。
どのような職務となるのか、にわかには具体像を説明できませんが…。
イメージとして、現在、医事紛争の交通整理役的な存在として医療メディエーターという職種が注目を浴びていますが、医療情報のメディエーターというイメージでしょうか。
私の狭い経験等から考えたものですから的外れなものかもしれませんが、御容赦ください。
とにもかくにも、この情報や知識等の非対称性をできる限り解消できる前提が整って、はじめて第三者による検証というものが有効になってくるのではないかな、そんなふうに考えています。
大網白里町地域医療対策特別委員会が7月末より計4回、開催されました。
この特別委員会は一般傍聴も可能ということで、傍聴してきました。
国保大網病院、県立東金病院、国保成東病院の山武地区の三つの公立病院の院長、そして山武市の椎名市長、県病院局並びに健康福祉部の話が聞ける、というので興味をそそられたのです。
そして、これらの方々の説明を受け、地元の議員たちがどのような論議を展開するのか、とても注目していました。
このような委員会を開催すること、そして一般にも公開することは、とても有意義なものです。
その点、大網白里町と議会の姿勢は、すばらしいものだと思います。
全四回の開催において、三病院の院長先生からは、山武地区の医療の現状と将来への要望が語られました。
共通するのは、
・山武地区は、県内でも最たる医師不足地域である。
・山武地区の救急医療体制は、二次救急ですら地域で完結せず、相当の部分を管外搬送せざるを得ない状況。もっとも必要なのは、救急医療だ。
・そのもっとも大きな原因は、医師不足にある。
・現在の臨床研修制度下では、医師は自由に勤務先を選ぶことができるため、医師に選ばれる医療環境を構築しなければ医師は集まらない。
・現状、様々な医師確保の努力を行っており、一定の効果も上がっているが(最悪の状況からは少し改善した)、本来、山武地区に期待される医療提供体制を整えるまでには程遠い状況には変わりない。
といった現状認識でしょうか。
大網病院長、東金病院長は、あえて政治的・政策的な内容には言及されず、しかし、医師が研修したくなる病院をこの地区に、との医療者としての要望を明かされていました。
成東病院長は、山武市が山武地区医療センター構想離脱に至った過程について、自身の見解も明らかにされていました。
山武市の椎名市長は、センター構想からの離脱の経緯を説明されました。
この内容については深くは触れませんが、山武地区の医療をどうするのかということを重視しつつも、政治的判断を最後には優先されたのかな、と感じざるを得ませんでした。
離脱は自らの積極的な意思ではなく、県側の対応が悪く離脱を余儀なくされたのだ、とのスタンスでしたが、離脱しなければならない積極的な理由が無いのなら、議論が停滞しようが何しようが議論のテーブルにつき続けるべきだったと、私は思います。
なぜなら、椎名市長も成東病院長も、離脱後の成東病院のあり方について、センター構想以上の医療提供体制を整えることを、実現性を持って語ることはできませんでした。
医療提供体制を立て直すという視点からは、明らかにビジョン無き撤退と言わざるを得ません。
最も重要なことは、山武地区の住民に、安心して暮らせる医療提供体制を整えることであって、センター構想以上のよりよい医療提供体制が構築できるという条件が整わなければ、離脱すべきではないのではないか、と思います。
まあ、山武市の離脱については、今回はこれくらい。
さて、上記の3病院長の、医療現場でそれこそ献身的に必死にどうにかしようと、ありとあらゆる手を尽くされている状況などを伺った上で、どのような議論が展開されるのかと期待した4回目の特別委員会。
県病院局と健康福祉部の方々が説明にあたり、それに対しての質疑という内容だったのですが、前回のエントリーで書いたように、もう「目を覆いたくなる」議論が展開されました。
多分、三病院長の必死の訴えは、殆ど耳に入っていないのではないでしょうか。
山武地区の医療の現実を理解していない、どのような医療提供体制が必要なのかを考えられていない、行政の仕組みを判っていない、議論の仕方が身についていない、自ら調べ考えアイディアを出すことがなされていないetc...もう、ダメダメです。
このままの議会に任せていては、多分、大網白里町の住民の方々は、十分な医療提供体制を構築してもらうことはできないでしょう。
そんな議員を選び出した有権者が悪い、といえばそれまでなのですが、選ばれた以上は、やはりきちんと考え学習し行動すべきでしょう。
ある議員は、「センター建築という『ハコモノ』ありきではなく、今の施設を活用すれば医療提供体制は立て直せる」と主張されました。
各病院長が、今の施設での努力を説明し、しかしながらそれだけでは二次救急体制の構築すらままならない状態は脱せず、ぎりぎりで踏みとどまっている状態だと説明しているにもかかわらず、何故このような主張ができるのでしょうか。
スクラップアンドビルドは、全て「ハコモノ」として拒絶する、という議論の前提が見えてなりません。
この議員は、県病院局に対し「当面の医師確保の具体策」を執拗に問うていました。
当然、病院局としては十分な医師を確保する特効薬的な回答は答えられません。
そのことをもってして「不十分」と糾弾しながら、自らは「現状の三病院体制のままでは、これ以上の医師確保は難しい。」と現場の医師からの訴えがあるにもかかわらず、「現状のままでも十分に医師が確保できはず」と主張し、しかしその具体策は全く触れないという、「否定のための糾弾」に終始徹しています。
これは議論ではありません。
無理問答です。
余談ですが、この議員の発言に傍聴席の一人の女性が拍手を送りました。
傍聴人の言論と拍手は禁じられていました。
色々な考え方、立場の方々が傍聴していますが、皆、自分の考えに合致した発言には拍手を送りたいし、それはちょっと違うという発言に対しては一言、言いたくなります。
しかし、そこはぐっとこらえるのです。
私も、上の議員の発言には「何言ってんだ」とクレームの一つも付けたい衝動に駆られました。
しかし、それはやってはいけません。
ルールを守っての公開制度ですから。
傍聴人がルールを守らなければ、公開はハードルの高いものになっていきます。
これは有権者にとって大きなマイナスです。
だからルールは守らなければいけません。
恐らく、拍手を送った方は、自分の考えが妥当であり、それを代弁してくれたから拍手を送ったのだと思います。
でもね、違う考えの方もいっぱいいて、それぞれがぐっとこらえて傍聴しているんですよね。
私の中では、ある一つの考え方が妥当だろう、という風に考えていますが、他の方にとってそれがただしいと思えるのかどうか、はまた別の問題です。
また、別の議員は「県が最大限の財政的支援をする」というが、現状の自治体の財政負担を上回らないという担保を示せ、それが無いから我々は構想に乗り切れないのだ、と再三再四主張されました。
しかし、県の回答は「どのような機能をもち、どのような規模の病院がどのような場所に建ち、どのような運営をされるのか、その構想が無ければコスト計算はできないし、したがっていくら財源が必要となってそれに対し県がいくら出すかという話はできない。まずは構想を練って欲しい」というものです。
まあ、硬いといえば硬い回答なのですが、公務員という立場では、確かにこれ以上はいえないのも事実です。
健康福祉部長は「財政支援については、県議会に提案しなければいけないが、いくらかかるかわからないままで提案はできない」「この場で私がいくら負担すると発言するのは、議会軽視と言われる」とまで言っています(そこまで言わせるなよ、というのが私の感想です)。
誰もがわかる明白な実情です。
それでも、この議員は「担保を示せ」と執拗に迫ります。
一方でこの議員は、総務省が示した自治体病院のガイドラインも、かじった程度で十分に理解しないまま「日本の病院経営の最高権威の長隆氏の発言からは、医療センター構想は実現不可能」と医療界にいる人間なら誰もが首をかしげる、「根拠無きへ理屈」を展開して県側をやり込めようとします。
そりゃあ、長氏が中心として取りまとめたのがガイドラインですが、ガイドラインはあくまでも考え方の例示や指針であって自治体病院のあり方を完全規定したものではないですし、この議員が引っ張ってきた「長氏の発言」は、公式なものでもないようですし県から総務省に対して内容について問い合わせた結果、長氏の発言とされる内容は否定されています。
それでも「最高権威」だから、と食い下がる、これも議論じゃないですよね。
とにかくこの議員は、山武医療センターがどのような救急を担うのかまだ論じていない中(ちなみに第一回目の会議で、大網病院長は、三次救急とまでいかず2.5次救急をと提言されていました)で、いわゆる3.5次救急というべき、県立の高度救急救命施設を引き合いに「お金がかかりすぎる」などと言ってみたり(この間の三病院の院長の説明を聞いていれば、救急の提供体制にも段階があり、その正確な理解が議論の前提となることは理解できたはずです)、それをやんわりと県側から指摘されると「はじめて知った」などと言ってみたり。
そして、この議員にも対案などありませんでした。
県の医療計画では、地域医療を担うのは各自治体の病院で、県立病院は高度専門病院に特化することが決定されています。
この前提に立って議論をしなければいけません(もちろん、医療計画自体を変更しようという議論はあってもいいでしょうし、でもそれはこの特別委員会の範疇ではありません)。
故に、どのような医療提供体制がこの地区に必要なのか、そしてその為にはどのような病院が必要で、だから新病院が必要だ、必要じゃないという議論は地方自治体が主体となって行うべきものなのです。
そして、「このような構想でいきたいが、県はどのような支援をしてくれるのか」と提案すべきなのです。
しかし、上記の議員たちは、この議論の組み立て方が、まるでわかっていない。
自分達の「対案」、いや、対案というより提案が無いのに、県には「何かしてくれ」と求め続ける。
そして何より、この地区の医療の現状も理解せず、どのような医療が必要なのかの構想も持ちえず、さらに日本全国の医療従事者たちが努力し積み重ねてきた結論と、多分、同じであろう三病院の各院長の意見も殆ど「無視」に近い状態の「今のまま努力すれば何とかなる」という発言を繰り返す姿勢は、全国の医療従事者に対する冒涜ですらあると思います。
9月議会に、この委員会の報告書が提出されるそうです。
一体どのような内容になるのでしょうか。
特別委員会には、議論のテーブルについて県が支援を検討できるような構想を練り上げようという、前向きな発言をされる議員もいらっしゃいました。
しかし、どうも大網白里議会では少数派なんだそうです。
宗旨替えが難しい、というのは私も様々な場面で経験してきました。
しかし、この議論はそんなに時間をかけられるものではありません。
君子豹変(君子じゃないですが)、敢えて期待します。
この特別委員会は一般傍聴も可能ということで、傍聴してきました。
国保大網病院、県立東金病院、国保成東病院の山武地区の三つの公立病院の院長、そして山武市の椎名市長、県病院局並びに健康福祉部の話が聞ける、というので興味をそそられたのです。
そして、これらの方々の説明を受け、地元の議員たちがどのような論議を展開するのか、とても注目していました。
このような委員会を開催すること、そして一般にも公開することは、とても有意義なものです。
その点、大網白里町と議会の姿勢は、すばらしいものだと思います。
全四回の開催において、三病院の院長先生からは、山武地区の医療の現状と将来への要望が語られました。
共通するのは、
・山武地区は、県内でも最たる医師不足地域である。
・山武地区の救急医療体制は、二次救急ですら地域で完結せず、相当の部分を管外搬送せざるを得ない状況。もっとも必要なのは、救急医療だ。
・そのもっとも大きな原因は、医師不足にある。
・現在の臨床研修制度下では、医師は自由に勤務先を選ぶことができるため、医師に選ばれる医療環境を構築しなければ医師は集まらない。
・現状、様々な医師確保の努力を行っており、一定の効果も上がっているが(最悪の状況からは少し改善した)、本来、山武地区に期待される医療提供体制を整えるまでには程遠い状況には変わりない。
といった現状認識でしょうか。
大網病院長、東金病院長は、あえて政治的・政策的な内容には言及されず、しかし、医師が研修したくなる病院をこの地区に、との医療者としての要望を明かされていました。
成東病院長は、山武市が山武地区医療センター構想離脱に至った過程について、自身の見解も明らかにされていました。
山武市の椎名市長は、センター構想からの離脱の経緯を説明されました。
この内容については深くは触れませんが、山武地区の医療をどうするのかということを重視しつつも、政治的判断を最後には優先されたのかな、と感じざるを得ませんでした。
離脱は自らの積極的な意思ではなく、県側の対応が悪く離脱を余儀なくされたのだ、とのスタンスでしたが、離脱しなければならない積極的な理由が無いのなら、議論が停滞しようが何しようが議論のテーブルにつき続けるべきだったと、私は思います。
なぜなら、椎名市長も成東病院長も、離脱後の成東病院のあり方について、センター構想以上の医療提供体制を整えることを、実現性を持って語ることはできませんでした。
医療提供体制を立て直すという視点からは、明らかにビジョン無き撤退と言わざるを得ません。
最も重要なことは、山武地区の住民に、安心して暮らせる医療提供体制を整えることであって、センター構想以上のよりよい医療提供体制が構築できるという条件が整わなければ、離脱すべきではないのではないか、と思います。
まあ、山武市の離脱については、今回はこれくらい。
さて、上記の3病院長の、医療現場でそれこそ献身的に必死にどうにかしようと、ありとあらゆる手を尽くされている状況などを伺った上で、どのような議論が展開されるのかと期待した4回目の特別委員会。
県病院局と健康福祉部の方々が説明にあたり、それに対しての質疑という内容だったのですが、前回のエントリーで書いたように、もう「目を覆いたくなる」議論が展開されました。
多分、三病院長の必死の訴えは、殆ど耳に入っていないのではないでしょうか。
山武地区の医療の現実を理解していない、どのような医療提供体制が必要なのかを考えられていない、行政の仕組みを判っていない、議論の仕方が身についていない、自ら調べ考えアイディアを出すことがなされていないetc...もう、ダメダメです。
このままの議会に任せていては、多分、大網白里町の住民の方々は、十分な医療提供体制を構築してもらうことはできないでしょう。
そんな議員を選び出した有権者が悪い、といえばそれまでなのですが、選ばれた以上は、やはりきちんと考え学習し行動すべきでしょう。
ある議員は、「センター建築という『ハコモノ』ありきではなく、今の施設を活用すれば医療提供体制は立て直せる」と主張されました。
各病院長が、今の施設での努力を説明し、しかしながらそれだけでは二次救急体制の構築すらままならない状態は脱せず、ぎりぎりで踏みとどまっている状態だと説明しているにもかかわらず、何故このような主張ができるのでしょうか。
スクラップアンドビルドは、全て「ハコモノ」として拒絶する、という議論の前提が見えてなりません。
この議員は、県病院局に対し「当面の医師確保の具体策」を執拗に問うていました。
当然、病院局としては十分な医師を確保する特効薬的な回答は答えられません。
そのことをもってして「不十分」と糾弾しながら、自らは「現状の三病院体制のままでは、これ以上の医師確保は難しい。」と現場の医師からの訴えがあるにもかかわらず、「現状のままでも十分に医師が確保できはず」と主張し、しかしその具体策は全く触れないという、「否定のための糾弾」に終始徹しています。
これは議論ではありません。
無理問答です。
余談ですが、この議員の発言に傍聴席の一人の女性が拍手を送りました。
傍聴人の言論と拍手は禁じられていました。
色々な考え方、立場の方々が傍聴していますが、皆、自分の考えに合致した発言には拍手を送りたいし、それはちょっと違うという発言に対しては一言、言いたくなります。
しかし、そこはぐっとこらえるのです。
私も、上の議員の発言には「何言ってんだ」とクレームの一つも付けたい衝動に駆られました。
しかし、それはやってはいけません。
ルールを守っての公開制度ですから。
傍聴人がルールを守らなければ、公開はハードルの高いものになっていきます。
これは有権者にとって大きなマイナスです。
だからルールは守らなければいけません。
恐らく、拍手を送った方は、自分の考えが妥当であり、それを代弁してくれたから拍手を送ったのだと思います。
でもね、違う考えの方もいっぱいいて、それぞれがぐっとこらえて傍聴しているんですよね。
私の中では、ある一つの考え方が妥当だろう、という風に考えていますが、他の方にとってそれがただしいと思えるのかどうか、はまた別の問題です。
また、別の議員は「県が最大限の財政的支援をする」というが、現状の自治体の財政負担を上回らないという担保を示せ、それが無いから我々は構想に乗り切れないのだ、と再三再四主張されました。
しかし、県の回答は「どのような機能をもち、どのような規模の病院がどのような場所に建ち、どのような運営をされるのか、その構想が無ければコスト計算はできないし、したがっていくら財源が必要となってそれに対し県がいくら出すかという話はできない。まずは構想を練って欲しい」というものです。
まあ、硬いといえば硬い回答なのですが、公務員という立場では、確かにこれ以上はいえないのも事実です。
健康福祉部長は「財政支援については、県議会に提案しなければいけないが、いくらかかるかわからないままで提案はできない」「この場で私がいくら負担すると発言するのは、議会軽視と言われる」とまで言っています(そこまで言わせるなよ、というのが私の感想です)。
誰もがわかる明白な実情です。
それでも、この議員は「担保を示せ」と執拗に迫ります。
一方でこの議員は、総務省が示した自治体病院のガイドラインも、かじった程度で十分に理解しないまま「日本の病院経営の最高権威の長隆氏の発言からは、医療センター構想は実現不可能」と医療界にいる人間なら誰もが首をかしげる、「根拠無きへ理屈」を展開して県側をやり込めようとします。
そりゃあ、長氏が中心として取りまとめたのがガイドラインですが、ガイドラインはあくまでも考え方の例示や指針であって自治体病院のあり方を完全規定したものではないですし、この議員が引っ張ってきた「長氏の発言」は、公式なものでもないようですし県から総務省に対して内容について問い合わせた結果、長氏の発言とされる内容は否定されています。
それでも「最高権威」だから、と食い下がる、これも議論じゃないですよね。
とにかくこの議員は、山武医療センターがどのような救急を担うのかまだ論じていない中(ちなみに第一回目の会議で、大網病院長は、三次救急とまでいかず2.5次救急をと提言されていました)で、いわゆる3.5次救急というべき、県立の高度救急救命施設を引き合いに「お金がかかりすぎる」などと言ってみたり(この間の三病院の院長の説明を聞いていれば、救急の提供体制にも段階があり、その正確な理解が議論の前提となることは理解できたはずです)、それをやんわりと県側から指摘されると「はじめて知った」などと言ってみたり。
そして、この議員にも対案などありませんでした。
県の医療計画では、地域医療を担うのは各自治体の病院で、県立病院は高度専門病院に特化することが決定されています。
この前提に立って議論をしなければいけません(もちろん、医療計画自体を変更しようという議論はあってもいいでしょうし、でもそれはこの特別委員会の範疇ではありません)。
故に、どのような医療提供体制がこの地区に必要なのか、そしてその為にはどのような病院が必要で、だから新病院が必要だ、必要じゃないという議論は地方自治体が主体となって行うべきものなのです。
そして、「このような構想でいきたいが、県はどのような支援をしてくれるのか」と提案すべきなのです。
しかし、上記の議員たちは、この議論の組み立て方が、まるでわかっていない。
自分達の「対案」、いや、対案というより提案が無いのに、県には「何かしてくれ」と求め続ける。
そして何より、この地区の医療の現状も理解せず、どのような医療が必要なのかの構想も持ちえず、さらに日本全国の医療従事者たちが努力し積み重ねてきた結論と、多分、同じであろう三病院の各院長の意見も殆ど「無視」に近い状態の「今のまま努力すれば何とかなる」という発言を繰り返す姿勢は、全国の医療従事者に対する冒涜ですらあると思います。
9月議会に、この委員会の報告書が提出されるそうです。
一体どのような内容になるのでしょうか。
特別委員会には、議論のテーブルについて県が支援を検討できるような構想を練り上げようという、前向きな発言をされる議員もいらっしゃいました。
しかし、どうも大網白里議会では少数派なんだそうです。
宗旨替えが難しい、というのは私も様々な場面で経験してきました。
しかし、この議論はそんなに時間をかけられるものではありません。
君子豹変(君子じゃないですが)、敢えて期待します。




