日経BPの「SAFTY JAPAN」で経済アナリストの森永卓郎氏が「構造改革をどう生きるか〜成果主義・拝金思想を疑え!〜」とのコラムを連載しています。
「医療費のコスト削減策はこんなにある」と題した5月26日付けのコラムは、多忙な森永氏が執筆したとしても、看過できない知識不足や暴論が展開されています。
以下、私が気づいた点を指摘します。
まず導入部分。
「年金でぎりぎりの生活をしている高齢者にとって、この金額はあまりにも厳しいとわたしは思う。」という高齢者の負担感についての記述はそのとおりだと思います。戴けないのは次の部分「厚生労働省や政治家は、国民の負担を増やす前に、なぜ医療コストを削減する努力をしないのか。彼らはその点について一切触れようとしない。そして、国民に対して『高齢化が進むと医療費が増えるのが当然』だと信じ込ませようとしているのである。」
ここには二つの認識不足があります。
ひとつ目は、厚生労働省は既に医療コストの削減は、これでもかと取り組んでいるという事実を認識されていないという点です。わが国の医療は国民皆保険であり、医療機関が保険診療を行った場合は「診療報酬点数表」に沿った報酬を受け取ります。この診療報酬は原則として2年に1回、見直されますが、直近では4回連続の引き下げ(08年4月は、技術料は引き上げだが薬剤・材料代等が引き下げられトータルではマイナス)です。また、療養病床の削減をはじめとする入院期間の短縮、後発医薬品の促進策、維持期のリハビリテーション等の保険給付外し等等、理屈も道理もなく「医療費削減ありき」の施策を重ねています。医療分野について文章を書く方なら、どなたでも承知している事実を、ご存じないのかと疑ってしまいます。
もうひとつは医療経済学の上でも明らかな「高齢化が進むと医療費が増える」ことをあたかも厚生労働省のブラフであるかのように言及している点です。高齢化が進めば、同一の保険制度を維持し続ける限り医療費は増えます。なぜなら高齢化と共に有病率は高まるからです。医療費の伸びは医療技術の進歩と高齢化が大きな要因です。高齢化が進んでも医療費が増えないというためには、不老不死を実現するか、有病率が高まっても医療費を増やさないという枠組みを作るしかないし、そのどちらも現実的には存在していません。ゆえに、高齢化が進むと医療費が増えるのは当然であり、「信じ込ませよう」と受け止める森永氏の認識がおかしいのです。
「医療費が増えているのに医療サービスが低下する矛盾」との節では、更なる認識不足が指摘できます。
「しかし、冷静になって考えてみると、これだけ毎年医療費が増えているにもかかわらず、医療の内容がよくなっていないのは不思議である。確かに先端 医療の技術は進歩しているのかもしれないが、ごく一般の診療を見る限り、病院はどこも大混雑。さんざん待たされたあげく、5分しか診てもらえないというのが実情である。
支払いは増えているのにサービスが低下している。これはどう考えても納得できない。医療費増大の原因は本当に高齢化だけが原因なのか。医療のコスト構造自体も、じっくりと検討すべきときに来ているのではないだろうか。」とここでも二年に一度見直されている診療報酬の変化をご存じないかの認識が示されています。
同じ制度下で、高齢化による自然増分の医療費が増えているのであれば、医療の質は変化しません。高齢化による自然増を上回る医療費増なら、医療の質の向上に寄与する可能性を期待できます。しかし、実際には高齢化による自然増どころか、診療報酬は4回連続でマイナスです。単純にコストパフォーマンスが変わらないとすれば、患者の受ける医療サービスの質は低下すると考えられます。
しかし、その低下を、医療従事者の努力や技術の進歩で補ってきたのが21世紀の日本の医療です。そしてその努力が限界に達し、現場の医療従事者が疲弊しきってしまっているのが今の「医療崩壊」の現状なのです。この実態をご存知なら、先の「よくなっていないのは不思議である」という分析は生じないと思われます。
恐らく、森永氏は医療の実態についてはあまりよくご存知ではないのではないでしょうか。同じくBPネットの日経メディカルをご覧になっていれば、このような認識にはならないのではないかと思います。だからこそ、「医療コスト削減策を何も考えずに、ただ医療費を増やすだけという方法で対処していけば、遅かれ早かれ日本の医療制度はパンクすることは間違いない。」という、「医療制度をパンクさせないために、行き過ぎた医療費削減策を見直し、医療費を増やす」という医療界の大方の論と正反対の結論が導き出されるのではないでしょうか。
ここまででも、森永氏があまり医療の現状について理解さずにこのコラムを執筆されていることが推察できます。認識不足なのです。
暴論といっても過言ではない、看過できない論は「医師の数を増やして医療コストを削減せよ」の節に登場します。
待った無しの医師不足の解消策について、「例えば、こうしてみたらどうだろうか。」として「医師の資格も1級と2級に分けて仕事を分担するのである。」とのアイディアを披露しています。ここでこの案にかかる説明としてトンデモない暴論が飛び出します。「確かに、先端医療の場合には、高度な知識や技術が必要なことはわかる。しかし、中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が 必要だとは思えない。極端なことを言えば、医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い。」と先端医療(氏の定義はどのようなものなのかは触れられていませんが)は高度な専門性を要求され、慢性疾患には高度な医療判断は必要ない、とし慢性疾患は「2級医師は4年制で卒業可能として、とりあえず大量に育成する」「最近の若者には、福祉の分野で働きたいという意欲を持つ人が多いから、人は集まるだろう。病院が彼らを年収300万円ほどで雇えば、若年層の失業対策にもなる」「そうした2級医師を採用して「早い、安い」を売り物にすれば人気が出るだろう。」と展開しています。
森永氏の暴論の極みは「慢性疾患なら現在の医師が見る必要はない。」と言い切ってしまう、理解不足でしょう。現在、慢性疾患の治療に携わっている医師・医療従事者や、治療を受けている患者がこの論を目にしたら、どう思うのでしょうか。
確かに高度先進医療などは、広く普及する前の新規開発の技術であり高い専門性を要します。
しかし、だからといって慢性疾患がそれに比して専門的ではないなどという二分法は成り立たちません。医師も薬剤師も、さまざまな医療従事者や研究者が、日々、慢性疾患治療のエビデンスの確立や新たな治療法・薬品の開発、より効果的な指導等の研究に励んでいます。これは研究機関に属する場合に限らず、多くの臨床医も携わっていますし、臨床医だからこそ担える要素も少なくありません。医師らの学会活動などを少しでも目にしたことがあれば、慢性疾患に対する専門性を否定す
るなど、到底できないでしょう。
また、「出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い」という点の解釈も、事象の検証を生業とされるアナリストとは思えません。高い専門性を身につけているからこそ、エビデンスに基づく結論として多くの場合が同様の結果となるだけであり、より重要なのは、この「標準的」な経過や反応を辿らない患者に対してのアプローチなのです。医療が工業製品生産のように画一化できないのは、人体があまりにも複雑なメカニズムを有し、そのすべてが解明されているわけではなく、ゆえに、個体による個別性が高いからこそです。その個別性を無視すれば、専門性も否定できるのでしょうが、その様な医師に誰が診察を受けたいと思うでしょうか。私は、個体差を診きれない医師に診察を受けたいとは思いません。この個体差を見切れる能力は専門性がもたら
すものであり、故に医療を急性期と慢性期で二分し、医師を階層化しようという発想は、医療を知らないゆえの暴論でしかないでしょう。
さらに、「歯科医を医師にするアイデアが実現しない理由」の節では、歯科医師について「医療についての知識は当然持ち合わせている。少なくとも、一般の医療活動ならば十分にできる。」と、曖昧模糊とした「一般の医療活動」という定義を持ち出します。一般の医療とはなんでしょうか?今までの文章から垣間見える森永氏の医療に対する認識からすると、私にはとても想像がつきません。
しかし、どうやら「麻酔」は「一般の医療活動」に該当するようです。「なかでも麻酔ならばお手のものだ。病院での麻酔医の不足が大きな問題となっているなか、日常的に麻酔を使っている歯科医は貴重な存在である。麻酔医を増やすためのコストがほとんどかからないので、確実に医療費の削減につながる。」と歯科医師に麻酔科医として活躍してもらうアイディアを披露されています。このアイディア自体は、少なからず耳にした事のあるアイディアで、そのこと自体を全面否定するつもりはありません。ただし、麻酔を「一般の医療活動」と定義づけた森永氏は、やはり歯科医師の専門性、麻酔科医の専門性を全く無視した論を展開されます。「そして言うまでもなく、歯科医も消毒はするし手術もする。やっていることは医師と同じなのだ。耳鼻科医が医師であるのは、頭に近いデリケートな部 分にかかわる医療をするからだろう。ならば、歯科医も医師であって悪いことはどこにもない。いますぐ、歯医者も医者をしていいという法律を定めれば、医師 不足や医療コストの問題は解決するのだ。」との移行論には、歯科医師、麻酔科医双方への尊敬のかけらも感じられません。全くの同一視です。
もうお分かりのように、森永氏は歯科医師が歯科医師として研鑽を積んだ歯科医療の専門性も、麻酔科医の専門性もまるで見えていません。現在、麻酔科医不足が指摘されていますが、歯科医師が直ちに麻酔科医として活躍できるのなら、麻酔科医不足は存在しないのです。なぜなら、麻酔科医が不足して手術が立ち行かなくなった病院には、麻酔科医以外の医師は存在しており、その麻酔科医以外の医師が麻酔科医となればいいからです。しかし、現実には同じ医師であっても麻酔科医として活躍する他の科の医師はほとんどいません。なぜなら、やはり歯科医師も含め、医師はそれぞれの科の専門家であり、森永氏の定義する「一般の医療活動」においても専門性を求められるが故に、そうそう麻酔科医の代わりにはなりえないのです。
もちろん、歯科医師に麻酔科医として活躍してもらうという可能性はゼロではないでしょう。しかし、その場合であっても、医師、そして麻酔科医としての専門性を身につけ臨床研修を積むことは必須であり、一朝一夕で実現する策ではないのです。
そして、最後には陰謀論で締めくくっています。
「歯科医を医師にせよという意見は、いままでにもあった。だが、残念ながら厚生労働省に門前払いにされ、検討さえされていない。その理由は見当がつく。日本医師会が自民党の有力な支援団体だからだろう。なんだかんだいっても、医師会は自分たちの利権を守ろうとしており、その意向に政府・与党は逆らうことができないのである。」と、日本医師会の政治力が歯科医を医師として活用するという道を阻害していると指摘しています。しかし、日本医師会がその様な圧力をかけたという事実は無いし、そのような検討が公的にされたこともありません。そしてそもそも、自民党の支援団体としては日本歯科医師会も同様であり、昨年の参議院選挙では日本医師会推薦の現職厚生労働副大臣が落選し、日本歯科医師会推薦の新人が当選を果たしているのです。そういう点から言えば、どちらも有力な支援団体であり、日本医師会だけが「エゴ」を徹し続けているという理解は無理があるのではないでしょうかうか。
そもそも歯科医師を医師へというアイディア自体、先の専門性以外の点でもクリアすべき課題があり、なかなか簡単にはいきません。そして、厚生労働省が医師不足を認めたのも、実はごく最近のことであり、故に「医師を増やす必要性」を論じ始めたのも最近のことなのです。日本医師会の陰謀が働く余地はなかったのです。
この日のコラムを通じて感じるのは、森永氏はどうも最近のマクロな医療経済についてご存じないだけではなく、そもそもミクロな視点に偏って執筆されているのではないかという印象です。医療分野に身をおいているわけではない森永氏が、身近に目にした事柄や印象、そして断片的に得た情報に基づき、全体像を俯瞰することなく書かれてはいないだろうかと感じざるを得ません。
最後のセンテンスで「その結果、取りやすいところから金をとろうとして医療費が上がるわけだ。医療費を上げても、デモもストライキもやらないおとなしい国民だから、政治家にとってこんな楽なものはない。」という、現場誤認で締めくくられているあたり、あながち的外れな印象ではないのではと思ったりします。
そういえばこのコラムの最初は「取りやすい後期高齢者」から、「お金をとろう」として「悲鳴が上がっている」ことからはじまったんじゃなかったでしょうか。頭とお尻でちょっと矛盾しています。
医師や歯科医師の白衣のデモなんかも、最近のニュースで流れていたけど、ご覧になっていないんでしょうか。
森永氏が御友人の方々と、一杯やりながら語る分には、なんら問題ありません。
しかし、マスコミにも登場し、発言に相応の影響力のある立場の方が、このような文章を披露されることは、ちょっといかがかなと感じざるをえません。
我が国の医療政策は、長らく「医療費亡国論」の呪縛にとらわれ続けていました。
そのために、削減ありきの過度な医療費抑制策が推し進められ、現在の医療崩壊をもたらす様々な要因を生み出してきたのです。
ようやく、医療従事者も患者団体も、市民も有識者も、声を大にして「医療費を増やそう」と訴えるにいたり、政治家の方々からも同様の声が上がってきているという状況が生まれてきました。
そのような、積み重ねられた忍耐と努力に水をさすような論は、到底看過できません。
珍しく、ちょっと頭にきたので、長文を書いてみました。
「医療費のコスト削減策はこんなにある」と題した5月26日付けのコラムは、多忙な森永氏が執筆したとしても、看過できない知識不足や暴論が展開されています。
以下、私が気づいた点を指摘します。
まず導入部分。
「年金でぎりぎりの生活をしている高齢者にとって、この金額はあまりにも厳しいとわたしは思う。」という高齢者の負担感についての記述はそのとおりだと思います。戴けないのは次の部分「厚生労働省や政治家は、国民の負担を増やす前に、なぜ医療コストを削減する努力をしないのか。彼らはその点について一切触れようとしない。そして、国民に対して『高齢化が進むと医療費が増えるのが当然』だと信じ込ませようとしているのである。」
ここには二つの認識不足があります。
ひとつ目は、厚生労働省は既に医療コストの削減は、これでもかと取り組んでいるという事実を認識されていないという点です。わが国の医療は国民皆保険であり、医療機関が保険診療を行った場合は「診療報酬点数表」に沿った報酬を受け取ります。この診療報酬は原則として2年に1回、見直されますが、直近では4回連続の引き下げ(08年4月は、技術料は引き上げだが薬剤・材料代等が引き下げられトータルではマイナス)です。また、療養病床の削減をはじめとする入院期間の短縮、後発医薬品の促進策、維持期のリハビリテーション等の保険給付外し等等、理屈も道理もなく「医療費削減ありき」の施策を重ねています。医療分野について文章を書く方なら、どなたでも承知している事実を、ご存じないのかと疑ってしまいます。
もうひとつは医療経済学の上でも明らかな「高齢化が進むと医療費が増える」ことをあたかも厚生労働省のブラフであるかのように言及している点です。高齢化が進めば、同一の保険制度を維持し続ける限り医療費は増えます。なぜなら高齢化と共に有病率は高まるからです。医療費の伸びは医療技術の進歩と高齢化が大きな要因です。高齢化が進んでも医療費が増えないというためには、不老不死を実現するか、有病率が高まっても医療費を増やさないという枠組みを作るしかないし、そのどちらも現実的には存在していません。ゆえに、高齢化が進むと医療費が増えるのは当然であり、「信じ込ませよう」と受け止める森永氏の認識がおかしいのです。
「医療費が増えているのに医療サービスが低下する矛盾」との節では、更なる認識不足が指摘できます。
「しかし、冷静になって考えてみると、これだけ毎年医療費が増えているにもかかわらず、医療の内容がよくなっていないのは不思議である。確かに先端 医療の技術は進歩しているのかもしれないが、ごく一般の診療を見る限り、病院はどこも大混雑。さんざん待たされたあげく、5分しか診てもらえないというのが実情である。
支払いは増えているのにサービスが低下している。これはどう考えても納得できない。医療費増大の原因は本当に高齢化だけが原因なのか。医療のコスト構造自体も、じっくりと検討すべきときに来ているのではないだろうか。」とここでも二年に一度見直されている診療報酬の変化をご存じないかの認識が示されています。
同じ制度下で、高齢化による自然増分の医療費が増えているのであれば、医療の質は変化しません。高齢化による自然増を上回る医療費増なら、医療の質の向上に寄与する可能性を期待できます。しかし、実際には高齢化による自然増どころか、診療報酬は4回連続でマイナスです。単純にコストパフォーマンスが変わらないとすれば、患者の受ける医療サービスの質は低下すると考えられます。
しかし、その低下を、医療従事者の努力や技術の進歩で補ってきたのが21世紀の日本の医療です。そしてその努力が限界に達し、現場の医療従事者が疲弊しきってしまっているのが今の「医療崩壊」の現状なのです。この実態をご存知なら、先の「よくなっていないのは不思議である」という分析は生じないと思われます。
恐らく、森永氏は医療の実態についてはあまりよくご存知ではないのではないでしょうか。同じくBPネットの日経メディカルをご覧になっていれば、このような認識にはならないのではないかと思います。だからこそ、「医療コスト削減策を何も考えずに、ただ医療費を増やすだけという方法で対処していけば、遅かれ早かれ日本の医療制度はパンクすることは間違いない。」という、「医療制度をパンクさせないために、行き過ぎた医療費削減策を見直し、医療費を増やす」という医療界の大方の論と正反対の結論が導き出されるのではないでしょうか。
ここまででも、森永氏があまり医療の現状について理解さずにこのコラムを執筆されていることが推察できます。認識不足なのです。
暴論といっても過言ではない、看過できない論は「医師の数を増やして医療コストを削減せよ」の節に登場します。
待った無しの医師不足の解消策について、「例えば、こうしてみたらどうだろうか。」として「医師の資格も1級と2級に分けて仕事を分担するのである。」とのアイディアを披露しています。ここでこの案にかかる説明としてトンデモない暴論が飛び出します。「確かに、先端医療の場合には、高度な知識や技術が必要なことはわかる。しかし、中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が 必要だとは思えない。極端なことを言えば、医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い。」と先端医療(氏の定義はどのようなものなのかは触れられていませんが)は高度な専門性を要求され、慢性疾患には高度な医療判断は必要ない、とし慢性疾患は「2級医師は4年制で卒業可能として、とりあえず大量に育成する」「最近の若者には、福祉の分野で働きたいという意欲を持つ人が多いから、人は集まるだろう。病院が彼らを年収300万円ほどで雇えば、若年層の失業対策にもなる」「そうした2級医師を採用して「早い、安い」を売り物にすれば人気が出るだろう。」と展開しています。
森永氏の暴論の極みは「慢性疾患なら現在の医師が見る必要はない。」と言い切ってしまう、理解不足でしょう。現在、慢性疾患の治療に携わっている医師・医療従事者や、治療を受けている患者がこの論を目にしたら、どう思うのでしょうか。
確かに高度先進医療などは、広く普及する前の新規開発の技術であり高い専門性を要します。
しかし、だからといって慢性疾患がそれに比して専門的ではないなどという二分法は成り立たちません。医師も薬剤師も、さまざまな医療従事者や研究者が、日々、慢性疾患治療のエビデンスの確立や新たな治療法・薬品の開発、より効果的な指導等の研究に励んでいます。これは研究機関に属する場合に限らず、多くの臨床医も携わっていますし、臨床医だからこそ担える要素も少なくありません。医師らの学会活動などを少しでも目にしたことがあれば、慢性疾患に対する専門性を否定す
るなど、到底できないでしょう。
また、「出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い」という点の解釈も、事象の検証を生業とされるアナリストとは思えません。高い専門性を身につけているからこそ、エビデンスに基づく結論として多くの場合が同様の結果となるだけであり、より重要なのは、この「標準的」な経過や反応を辿らない患者に対してのアプローチなのです。医療が工業製品生産のように画一化できないのは、人体があまりにも複雑なメカニズムを有し、そのすべてが解明されているわけではなく、ゆえに、個体による個別性が高いからこそです。その個別性を無視すれば、専門性も否定できるのでしょうが、その様な医師に誰が診察を受けたいと思うでしょうか。私は、個体差を診きれない医師に診察を受けたいとは思いません。この個体差を見切れる能力は専門性がもたら
すものであり、故に医療を急性期と慢性期で二分し、医師を階層化しようという発想は、医療を知らないゆえの暴論でしかないでしょう。
さらに、「歯科医を医師にするアイデアが実現しない理由」の節では、歯科医師について「医療についての知識は当然持ち合わせている。少なくとも、一般の医療活動ならば十分にできる。」と、曖昧模糊とした「一般の医療活動」という定義を持ち出します。一般の医療とはなんでしょうか?今までの文章から垣間見える森永氏の医療に対する認識からすると、私にはとても想像がつきません。
しかし、どうやら「麻酔」は「一般の医療活動」に該当するようです。「なかでも麻酔ならばお手のものだ。病院での麻酔医の不足が大きな問題となっているなか、日常的に麻酔を使っている歯科医は貴重な存在である。麻酔医を増やすためのコストがほとんどかからないので、確実に医療費の削減につながる。」と歯科医師に麻酔科医として活躍してもらうアイディアを披露されています。このアイディア自体は、少なからず耳にした事のあるアイディアで、そのこと自体を全面否定するつもりはありません。ただし、麻酔を「一般の医療活動」と定義づけた森永氏は、やはり歯科医師の専門性、麻酔科医の専門性を全く無視した論を展開されます。「そして言うまでもなく、歯科医も消毒はするし手術もする。やっていることは医師と同じなのだ。耳鼻科医が医師であるのは、頭に近いデリケートな部 分にかかわる医療をするからだろう。ならば、歯科医も医師であって悪いことはどこにもない。いますぐ、歯医者も医者をしていいという法律を定めれば、医師 不足や医療コストの問題は解決するのだ。」との移行論には、歯科医師、麻酔科医双方への尊敬のかけらも感じられません。全くの同一視です。
もうお分かりのように、森永氏は歯科医師が歯科医師として研鑽を積んだ歯科医療の専門性も、麻酔科医の専門性もまるで見えていません。現在、麻酔科医不足が指摘されていますが、歯科医師が直ちに麻酔科医として活躍できるのなら、麻酔科医不足は存在しないのです。なぜなら、麻酔科医が不足して手術が立ち行かなくなった病院には、麻酔科医以外の医師は存在しており、その麻酔科医以外の医師が麻酔科医となればいいからです。しかし、現実には同じ医師であっても麻酔科医として活躍する他の科の医師はほとんどいません。なぜなら、やはり歯科医師も含め、医師はそれぞれの科の専門家であり、森永氏の定義する「一般の医療活動」においても専門性を求められるが故に、そうそう麻酔科医の代わりにはなりえないのです。
もちろん、歯科医師に麻酔科医として活躍してもらうという可能性はゼロではないでしょう。しかし、その場合であっても、医師、そして麻酔科医としての専門性を身につけ臨床研修を積むことは必須であり、一朝一夕で実現する策ではないのです。
そして、最後には陰謀論で締めくくっています。
「歯科医を医師にせよという意見は、いままでにもあった。だが、残念ながら厚生労働省に門前払いにされ、検討さえされていない。その理由は見当がつく。日本医師会が自民党の有力な支援団体だからだろう。なんだかんだいっても、医師会は自分たちの利権を守ろうとしており、その意向に政府・与党は逆らうことができないのである。」と、日本医師会の政治力が歯科医を医師として活用するという道を阻害していると指摘しています。しかし、日本医師会がその様な圧力をかけたという事実は無いし、そのような検討が公的にされたこともありません。そしてそもそも、自民党の支援団体としては日本歯科医師会も同様であり、昨年の参議院選挙では日本医師会推薦の現職厚生労働副大臣が落選し、日本歯科医師会推薦の新人が当選を果たしているのです。そういう点から言えば、どちらも有力な支援団体であり、日本医師会だけが「エゴ」を徹し続けているという理解は無理があるのではないでしょうかうか。
そもそも歯科医師を医師へというアイディア自体、先の専門性以外の点でもクリアすべき課題があり、なかなか簡単にはいきません。そして、厚生労働省が医師不足を認めたのも、実はごく最近のことであり、故に「医師を増やす必要性」を論じ始めたのも最近のことなのです。日本医師会の陰謀が働く余地はなかったのです。
この日のコラムを通じて感じるのは、森永氏はどうも最近のマクロな医療経済についてご存じないだけではなく、そもそもミクロな視点に偏って執筆されているのではないかという印象です。医療分野に身をおいているわけではない森永氏が、身近に目にした事柄や印象、そして断片的に得た情報に基づき、全体像を俯瞰することなく書かれてはいないだろうかと感じざるを得ません。
最後のセンテンスで「その結果、取りやすいところから金をとろうとして医療費が上がるわけだ。医療費を上げても、デモもストライキもやらないおとなしい国民だから、政治家にとってこんな楽なものはない。」という、現場誤認で締めくくられているあたり、あながち的外れな印象ではないのではと思ったりします。
そういえばこのコラムの最初は「取りやすい後期高齢者」から、「お金をとろう」として「悲鳴が上がっている」ことからはじまったんじゃなかったでしょうか。頭とお尻でちょっと矛盾しています。
医師や歯科医師の白衣のデモなんかも、最近のニュースで流れていたけど、ご覧になっていないんでしょうか。
森永氏が御友人の方々と、一杯やりながら語る分には、なんら問題ありません。
しかし、マスコミにも登場し、発言に相応の影響力のある立場の方が、このような文章を披露されることは、ちょっといかがかなと感じざるをえません。
我が国の医療政策は、長らく「医療費亡国論」の呪縛にとらわれ続けていました。
そのために、削減ありきの過度な医療費抑制策が推し進められ、現在の医療崩壊をもたらす様々な要因を生み出してきたのです。
ようやく、医療従事者も患者団体も、市民も有識者も、声を大にして「医療費を増やそう」と訴えるにいたり、政治家の方々からも同様の声が上がってきているという状況が生まれてきました。
そのような、積み重ねられた忍耐と努力に水をさすような論は、到底看過できません。
珍しく、ちょっと頭にきたので、長文を書いてみました。
テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記
この記事へのコメント
上記反論は、反論になってないですね・・・というか、知識を十分に有している方がこの程度の反論しかできないとは、本当に医療は危機なのですね。
森永氏は要するに現在のシステムの破綻をいっているのですよ。これに反論するには、「システムが破綻していない、まだまだ使える」ということを示さなければいけないのですが、上記反論を見る限り、破綻の事実が覆い被さってくるばかり。ミクロの視野に遮られているのは、全く森永氏ではないと思いました。
森永氏は要するに現在のシステムの破綻をいっているのですよ。これに反論するには、「システムが破綻していない、まだまだ使える」ということを示さなければいけないのですが、上記反論を見る限り、破綻の事実が覆い被さってくるばかり。ミクロの視野に遮られているのは、全く森永氏ではないと思いました。
2008/05/26 (月) 23:55:24 | URL | layerism #ur2zjvX6[ 編集]
大枠で「システムは破綻している」あるいは「しつつある」ということに、異論がある人はいないでしょう。総論部分でそんなに意見の対立は生じない場面ですよね。
森永氏の発言は、各論部分に問題があるんです。ブログ主さんもそこを突いている。それを
>「システムが破綻していない、まだまだ使える」ということを示さなければいけない
と主張されるのは、単に無理難題を吹っかけているだけにしか見えません。
森永氏の発言は、各論部分に問題があるんです。ブログ主さんもそこを突いている。それを
>「システムが破綻していない、まだまだ使える」ということを示さなければいけない
と主張されるのは、単に無理難題を吹っかけているだけにしか見えません。
2008/05/27 (火) 00:41:20 | URL | pede #8D.QJYtI[ 編集]
残念ながらlayerism様が十分森永氏やブログ主の文章を理解されていないということがよくわかりました。
システムが破たんしているのはだれの目にも明らか。じゃあ、どうすればいいのか、というのが今回の森永氏の論点だと思うのだけれども、その解決方法がずれまくり・見当違い、ということをブログ主は指摘されているんですよ。別に今のシステムが使えるか云々なんて関係ないでしょう。
国語のテストでlayerism様の様な答えを書いたら20点ですよ。いや、うちの7歳の娘だったら80点あげるけど。
システムが破たんしているのはだれの目にも明らか。じゃあ、どうすればいいのか、というのが今回の森永氏の論点だと思うのだけれども、その解決方法がずれまくり・見当違い、ということをブログ主は指摘されているんですよ。別に今のシステムが使えるか云々なんて関係ないでしょう。
国語のテストでlayerism様の様な答えを書いたら20点ですよ。いや、うちの7歳の娘だったら80点あげるけど。
2008/05/27 (火) 04:13:22 | URL | 暇人28号 #SFo5/nok[ 編集]
失礼いたします。・・・私のblogもご覧になってみてください。人生いろいろです。
ただの宣伝。
2008/05/27 (火) 13:44:39 | URL | pede #8D.QJYtI[ 編集]
この自称経済アナリストは医療費総量と、個々の医療費単価を単に「医療費」としてごっちゃに扱ってますね。
医療費の総量が増えても、個々の単価が下がれば質が維持できなくなるのはは当然です。
「しかし、冷静になって考えてみると、これだけ毎年医療費が増えているにもかかわらず、医療の内容がよくなっていないのは不思議である。」
自称経済アナリストが、冷静になって考えてみてもこれだけの事しかわからない方が私にとっては不思議である。
医療費の総量が増えても、個々の単価が下がれば質が維持できなくなるのはは当然です。
「しかし、冷静になって考えてみると、これだけ毎年医療費が増えているにもかかわらず、医療の内容がよくなっていないのは不思議である。」
自称経済アナリストが、冷静になって考えてみてもこれだけの事しかわからない方が私にとっては不思議である。
2008/05/28 (水) 08:19:51 | URL | トリビューン #qbIq4rIg[ 編集]
長文になりますが、お許しを。
森永氏へのご批判を、拝読。具体的な議論に、納得いたしました。日経BPサイトコメント欄に、医療関係者の方々から寄せられた、森永氏への批判の多数と、同主旨でおられる。
ブログ主様や、他の多くの批判コメントの主張の、最重要点を一言でいえば、「日本社会は、もっと、医療費を負担しなくてはいけない。」と、なりましょうか。このことは、もっと声高に、強力に、主張されるべきことだと思います。年金に関しては、社会全体の負担がこれまでより増えざるを得ないということが、しぶしぶながらも認識され、今は、負担方法をどうするかが問題になってきています。医療費に関しては、残念ながら、「社会全体での負担増」に対するコンセンサスは、未だしのようです。私のような素人の認識不足や、マスコミの責任も大ですが、畢竟、医療現場の方の強力かつ明確な主張がなければ、社会は「苦い薬」を飲もうとしないでしょう。さらなる、ご努力を、お願いする次第です。
とは言いながら、医療費の中で、合理的に削減可能な項目があれば、削減するに如くは無しです。
その一例として、ジェネリック医薬品の利用推進について、日経BPサイトの森永コラムへのコメントとして、私、(2回も!)投稿いたしております。ブログ主様の議論は、ジェネリック医薬品についてではないですが、文章の中で、否定的な意味合いでジェネリック医薬品(「後発医薬品」と書かれていますが)に触れておられるので、医療現場の方に、私の考えを聞いていただきたいと思い、しゃしゃり出ました。(日経BPへの投稿内容と、少し、重複しますが、ご容赦ください。)
さて、私は、ジェネリック医薬品は、どんどん利用して、特許が切れたことから生じる利益を、社会全体で享受するべきであると、思っています。日経投稿にも述べましたが、特許制度とは、発明者に一定の期間、独占的利益を保証することで、有益な発明の出現を促進すると共に、特許期間経過後は、自由競争のもと、より安い価格で、その発明の利益が社会に享受されることを考えた制度です。例をあげれば、電球を、未だにGE(ジェネリックではなく、エジソンの会社)しか作っていないのなら、今より、ずいぶんと高価なことでしょう。今の電球の価格は、特許が切れて、世界中の会社が作っている結果、というわけです。
問題は、「医薬品は、電球とはわけが違う。」という事情です。ジェネリック医薬品利用に対する医師の反対意見を、新聞で拝見しました。インターネットの関連サイトの解説も読みました。もし、ジェネリック医薬品メーカーが、医学的にみて、先発医薬品と同じ製品を作ることは不可能であると、結論付けられるなら、いくら、経費削減のためとはいえ、ジェネリック医薬品の利用推進は慎むべきです。しかし、そうなのでしょうか。新聞の記事や、ネットの情報を見る限り、それらは、克服可能な条件のように、私には思えます。
医薬品は、電球とは違います。だからこそ、医薬品の製造・販売には、国の認可が必要なのであり、それ以外にも、他の業種にはない緊密な国の監督のもと、事業が営まれていることと思います。この、国による認可・監督の運用を適切に行えば、先発医薬品と同じ薬として扱っても、医学的に問題のないジェネリック医薬品が市場に出てくることは、可能なのではないでしょうか。そうしないのは、社会が特許制度から得べかりし利益を、奪っていることになる、というのが、私の主旨です。
ジェネリック医薬品の問題点を、個々に検討することは、文章が長くなりすぎますし、素人の私は、その任に堪えませんので、差し控えます。一点、強調しておきたいことは、この問題、つまり「ある薬の使用が、診療上、可か不可か」の決定は、医師が関与しなければ決まらない、ということです。そして、個々の医師の見解のレベルを超えて、保険診療上の「適正診療」の合意にまでいたらなければいけないでしょう。今でも、診療を行った医師と、健保側とで、診療が「適正」かどうかの見解が相違し、レセプト審査の結果、保健請求が認められないことがあります。このレセプト審査も、健保側の医師が行う、医学的判断です。ジェネリック医薬品の使用について、すべての医師の意見が一致することはないでしょうが、少なくとも、このレセプト審査の手続きの中での「適正診療」の議論のなかで扱える程度にまで、医学界で議論し、合意形成をしてほしいものです。
ここで、この問題における、経済行動的な意味での、医師の特殊な立場を、指摘しておきたいと思います。通常、経済負担をする場合、その決定は、負担者自身が行います。つまり、何を買うかは、金を出す人が決める、もしくは、その人の同意の上で決めるでしょう。この観点で、医療をみると、面白い。ある患者さんに、先発医薬品を処方するか、ジェネリック医薬品を処方するかは、診療上の判断として、医師が自らの責任において決めることです。患者さんの希望もあるでしょうし、インフォームド・コンセントもあるでしょう。でも、最終的には、医療上の判断としてなされたことは、すべて、医師の責任です。ところが、先発医薬品かジェネリック医薬品かの選択の経済的結果には、医師は無関係です。薬が高かろうが、安かろうが、それを負担するのは、病院ではありません。言ってみれば、7割が健康保健の負担、3割が、患者の負担です。医療上の判断は、経済的考慮とは別だと、言われるかもしれない。医師は、患者さんの立場に立って、いつも考えていると言われるかもしれない。でも、私は心配です。悪いが、お医者さんも人の子です。ただでさえ過重な仕事の中、ジェネリック医薬品の普及など、自分の懐に関係ないことに労力を割くよりは、安全を取って、先発医薬品を処方し続けていた方が楽・・・、と考えたりしないでしょうか。
そんなことは、言われるまでもなく、やっている、と言われるかもしれない。でも、マスコミの報じ方を見ていると、ジェネリック医薬品の否定的な面しか聞こえてこず、不安になります。素人は、医師が「ジェネリックはだめだ」と言えば、そうなのかと思ってしまいます。医療における医師の発言力の絶対的立場を思い、そして、お医者さんが積極的に処方をしない限り、ジェネリック医薬品の普及はあり得ないことを思い、あえて、指摘させていただきました。
今回、日経BPからのトラック・バックで、初めて貴ブログにお邪魔しました。今後は、時々、寄らせていただこうかと思います。私の議論に、誤りがありましたら、ご指摘いただけたら、幸いです。もし、いささかなりと、汲むべき点がございましたら、職場の医師の方との話題にしていただければ、光栄です。なにしろ、この問題は、医師が動かない限り、動かないのですから。(もし、ジェネリック医薬品が普及すれば、それは、ジェネリック医薬品にとどまらず、先発医薬品も、従来よりも安価に提供されるようになるはずだということを、最後に付け加えたいと思います。)
長文、ご無礼いたしました。
森永氏へのご批判を、拝読。具体的な議論に、納得いたしました。日経BPサイトコメント欄に、医療関係者の方々から寄せられた、森永氏への批判の多数と、同主旨でおられる。
ブログ主様や、他の多くの批判コメントの主張の、最重要点を一言でいえば、「日本社会は、もっと、医療費を負担しなくてはいけない。」と、なりましょうか。このことは、もっと声高に、強力に、主張されるべきことだと思います。年金に関しては、社会全体の負担がこれまでより増えざるを得ないということが、しぶしぶながらも認識され、今は、負担方法をどうするかが問題になってきています。医療費に関しては、残念ながら、「社会全体での負担増」に対するコンセンサスは、未だしのようです。私のような素人の認識不足や、マスコミの責任も大ですが、畢竟、医療現場の方の強力かつ明確な主張がなければ、社会は「苦い薬」を飲もうとしないでしょう。さらなる、ご努力を、お願いする次第です。
とは言いながら、医療費の中で、合理的に削減可能な項目があれば、削減するに如くは無しです。
その一例として、ジェネリック医薬品の利用推進について、日経BPサイトの森永コラムへのコメントとして、私、(2回も!)投稿いたしております。ブログ主様の議論は、ジェネリック医薬品についてではないですが、文章の中で、否定的な意味合いでジェネリック医薬品(「後発医薬品」と書かれていますが)に触れておられるので、医療現場の方に、私の考えを聞いていただきたいと思い、しゃしゃり出ました。(日経BPへの投稿内容と、少し、重複しますが、ご容赦ください。)
さて、私は、ジェネリック医薬品は、どんどん利用して、特許が切れたことから生じる利益を、社会全体で享受するべきであると、思っています。日経投稿にも述べましたが、特許制度とは、発明者に一定の期間、独占的利益を保証することで、有益な発明の出現を促進すると共に、特許期間経過後は、自由競争のもと、より安い価格で、その発明の利益が社会に享受されることを考えた制度です。例をあげれば、電球を、未だにGE(ジェネリックではなく、エジソンの会社)しか作っていないのなら、今より、ずいぶんと高価なことでしょう。今の電球の価格は、特許が切れて、世界中の会社が作っている結果、というわけです。
問題は、「医薬品は、電球とはわけが違う。」という事情です。ジェネリック医薬品利用に対する医師の反対意見を、新聞で拝見しました。インターネットの関連サイトの解説も読みました。もし、ジェネリック医薬品メーカーが、医学的にみて、先発医薬品と同じ製品を作ることは不可能であると、結論付けられるなら、いくら、経費削減のためとはいえ、ジェネリック医薬品の利用推進は慎むべきです。しかし、そうなのでしょうか。新聞の記事や、ネットの情報を見る限り、それらは、克服可能な条件のように、私には思えます。
医薬品は、電球とは違います。だからこそ、医薬品の製造・販売には、国の認可が必要なのであり、それ以外にも、他の業種にはない緊密な国の監督のもと、事業が営まれていることと思います。この、国による認可・監督の運用を適切に行えば、先発医薬品と同じ薬として扱っても、医学的に問題のないジェネリック医薬品が市場に出てくることは、可能なのではないでしょうか。そうしないのは、社会が特許制度から得べかりし利益を、奪っていることになる、というのが、私の主旨です。
ジェネリック医薬品の問題点を、個々に検討することは、文章が長くなりすぎますし、素人の私は、その任に堪えませんので、差し控えます。一点、強調しておきたいことは、この問題、つまり「ある薬の使用が、診療上、可か不可か」の決定は、医師が関与しなければ決まらない、ということです。そして、個々の医師の見解のレベルを超えて、保険診療上の「適正診療」の合意にまでいたらなければいけないでしょう。今でも、診療を行った医師と、健保側とで、診療が「適正」かどうかの見解が相違し、レセプト審査の結果、保健請求が認められないことがあります。このレセプト審査も、健保側の医師が行う、医学的判断です。ジェネリック医薬品の使用について、すべての医師の意見が一致することはないでしょうが、少なくとも、このレセプト審査の手続きの中での「適正診療」の議論のなかで扱える程度にまで、医学界で議論し、合意形成をしてほしいものです。
ここで、この問題における、経済行動的な意味での、医師の特殊な立場を、指摘しておきたいと思います。通常、経済負担をする場合、その決定は、負担者自身が行います。つまり、何を買うかは、金を出す人が決める、もしくは、その人の同意の上で決めるでしょう。この観点で、医療をみると、面白い。ある患者さんに、先発医薬品を処方するか、ジェネリック医薬品を処方するかは、診療上の判断として、医師が自らの責任において決めることです。患者さんの希望もあるでしょうし、インフォームド・コンセントもあるでしょう。でも、最終的には、医療上の判断としてなされたことは、すべて、医師の責任です。ところが、先発医薬品かジェネリック医薬品かの選択の経済的結果には、医師は無関係です。薬が高かろうが、安かろうが、それを負担するのは、病院ではありません。言ってみれば、7割が健康保健の負担、3割が、患者の負担です。医療上の判断は、経済的考慮とは別だと、言われるかもしれない。医師は、患者さんの立場に立って、いつも考えていると言われるかもしれない。でも、私は心配です。悪いが、お医者さんも人の子です。ただでさえ過重な仕事の中、ジェネリック医薬品の普及など、自分の懐に関係ないことに労力を割くよりは、安全を取って、先発医薬品を処方し続けていた方が楽・・・、と考えたりしないでしょうか。
そんなことは、言われるまでもなく、やっている、と言われるかもしれない。でも、マスコミの報じ方を見ていると、ジェネリック医薬品の否定的な面しか聞こえてこず、不安になります。素人は、医師が「ジェネリックはだめだ」と言えば、そうなのかと思ってしまいます。医療における医師の発言力の絶対的立場を思い、そして、お医者さんが積極的に処方をしない限り、ジェネリック医薬品の普及はあり得ないことを思い、あえて、指摘させていただきました。
今回、日経BPからのトラック・バックで、初めて貴ブログにお邪魔しました。今後は、時々、寄らせていただこうかと思います。私の議論に、誤りがありましたら、ご指摘いただけたら、幸いです。もし、いささかなりと、汲むべき点がございましたら、職場の医師の方との話題にしていただければ、光栄です。なにしろ、この問題は、医師が動かない限り、動かないのですから。(もし、ジェネリック医薬品が普及すれば、それは、ジェネリック医薬品にとどまらず、先発医薬品も、従来よりも安価に提供されるようになるはずだということを、最後に付け加えたいと思います。)
長文、ご無礼いたしました。
2008/06/01 (日) 02:41:56 | URL | PnetQ #SeOP0J/Y[ 編集]
PnetQ様、コメントありがとうございます。
医療費総枠を増やす必要性の喧伝、確かにもっとその必要性をより広く知らせていかなければなり
ませんよね。
そして、医療費総枠を増やす一方で、やはり効率的に運営できる部分で、削減できる物があれば削減していくべきとも思っております。
ジェネリック医薬品の活用がその一つであることは、その通りと思います。
事実として、我が国のジェネリック医薬品の使用量は他の先進国に比して少ないといわれていますし。
私は医師では在りませんし、薬学的知識も有しませんので先発品と後発品の医学的・薬学的差異について論じることはできません。
ただ、ジェネリック医薬品の推奨にかかる施策が、いただけないなと感じております。
先発品と後発品は、モノによってはその差異を無視できるでしょうし、モノによっては無視できない差異があるのでしょう。
したがって、後発医薬品の普及促進は、医師と患者さんの判断に資する情報の提供をすすめていくことと、選択のための障壁を無くしていくことだと思っております。
しかし、現実には障壁をなくすのではなく、ジェネリックを使用しなければいけないかのような、先発品使用に障壁を設けるといった、本末転倒な施策が打ち出されたりしています。
その一例が、生活保護患者へのジェネリック使用徹底です。
医師が後発医薬品を選択しやすくする、患者さんが後発医薬品を選択しやすくする環境整備こそ進められるべき施策であって、後発医薬品使用を原則とする、という選択の余地を狭める施策は我が国の現状にはあわないのではないかと考えています。
この件については、可能なら後日、ブログ記事として書いてみたいと思います。
PnetQ様の捉え方、私もなんら違和感なく感じられます。
医療費総枠を増やす必要性の喧伝、確かにもっとその必要性をより広く知らせていかなければなり
ませんよね。
そして、医療費総枠を増やす一方で、やはり効率的に運営できる部分で、削減できる物があれば削減していくべきとも思っております。
ジェネリック医薬品の活用がその一つであることは、その通りと思います。
事実として、我が国のジェネリック医薬品の使用量は他の先進国に比して少ないといわれていますし。
私は医師では在りませんし、薬学的知識も有しませんので先発品と後発品の医学的・薬学的差異について論じることはできません。
ただ、ジェネリック医薬品の推奨にかかる施策が、いただけないなと感じております。
先発品と後発品は、モノによってはその差異を無視できるでしょうし、モノによっては無視できない差異があるのでしょう。
したがって、後発医薬品の普及促進は、医師と患者さんの判断に資する情報の提供をすすめていくことと、選択のための障壁を無くしていくことだと思っております。
しかし、現実には障壁をなくすのではなく、ジェネリックを使用しなければいけないかのような、先発品使用に障壁を設けるといった、本末転倒な施策が打ち出されたりしています。
その一例が、生活保護患者へのジェネリック使用徹底です。
医師が後発医薬品を選択しやすくする、患者さんが後発医薬品を選択しやすくする環境整備こそ進められるべき施策であって、後発医薬品使用を原則とする、という選択の余地を狭める施策は我が国の現状にはあわないのではないかと考えています。
この件については、可能なら後日、ブログ記事として書いてみたいと思います。
PnetQ様の捉え方、私もなんら違和感なく感じられます。
2008/06/01 (日) 23:58:54 | URL | 高畑 #-[ 編集]
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